競争社会でへらへら笑って

司法試験という競争社会の中でもへらへらしてる受験生のブログ

22.卒業しました

f:id:azumero:20220331215620j:plain

これはゼミの先生が「飲み代の足しに」と言ってくれた卒業記念品(飲み代出ると思って高いとこ予約しちまったじゃねぇか!!)

ということで、どうも、あずめろです。

早いもので、ついに私も卒業ということになってしましましま。もちろん大学をです。

しかし、大学卒業とは「大学の卒業」のみを意味するものでもない、ということも学びました。いやはや、悲しいですね。

今日はそんなお話と、4年間の振り返りと、若干の意見について・・・少し真面目に

※ほんとは4/1に投稿したかったけど無理だったお。でも記事は4/1を想定して書いてるから、すなわち今日は4/1なんだお

(/ω\)

卒業しちゃいました

3/25大学を卒業しちゃいました。

まず、ほんとにはやかった、というのはうそです(今日はエイプリルフールだからね!)。高校よりは長かったね。なぜなら4年間あったから。

でも、あれ?あの時何してたっけ?って時もあります。

そう、大学3年生前期。皆さんもこの時期を振り返ってみましょう。

 

あれれ???なんにもおもいでがないぞ~~??

 

ということで、やはりコロナで3年生の記憶があまりありません。やっぱり学生にコロナはあんまりだぁということです。

今年(もう「今年」)はもうちょっとましになってほしいなぁ・・・

 

さて、流れをもどして、まあ卒業式では久々の、ほんとに久々の顔合わせがあったんですが、あ、こんなに知り合いいたんだぁってなりました。どれだけ人に合ってなかったかがわかりますね。やっぱり学生にコロナはあんまりだぁ

 

よく紙の辞書とか新聞紙を勧める理由に「興味ない記事(内容)も触れられるから」みたいなのあるじゃないですか。僕はあれ、興味なかったら全く目にも入らないので主張自体失当だと思っているのですが、どうもこの理由付けは人間関係には当てはまるような気がします。

すなわち、興味ない人間がいたとしても、おんなじ教室にいるだけでなんか目に着いたり、場合によっては話たり、話してるの聞いたりするじゃないですか。あれで、「あぁ、こんな人なんだぁ」とか「おもろそうやん」とか思ったりするわけですよね。なので、「教室」という存在がなくなったこの2年間は結構大事なもの無くなったよなぁ、としみじみしたわけです。(「大事」「喪失」を書いておけばなんとなくしんみりするとおもったそこのあなた、大正解です)。

大学卒業は「大学の卒業」のみを意味するのか

さて、私がもう一つしみじみしたのが、

 

「こいつら4/1から社会人か??」です。

 

そう、大学卒業は「大学の卒業」のみにあらず、「学生卒業」をも意味するものだったのである。。。(と大学院生になる者がいうのはなんと薄っぺらいものか)

 

4/1、すなわち今日なわけですが、基本的に大学院に行かない人はこれで就職なわけですよね。就職、、、、社会人なわけです。社会の人ですよ。齢22で??これから日本を背負っていくわけですよ。

ええ。新社会人の皆さん、手をたたきましょう。連続で。そしてその音を聞きましょう。自分への拍手ですよ。こんな偉いこと他にありますか??いやない(反語)。

 

0.01mmくらいの極薄な言葉かもしれませんが、聞いてください。

すごいですよ。ほんとにすごい。きっと大変な(僕は想像できません)こともあると思いますが、どうぞ頑張ってください。社会人、なっただけですごいですよ。今日一日働いた、それがもう学生とは違います。誇りを持ってください。頑張って(●´ω`●)

 

昔就活相談会のことを「社会の歯車説明会」と揶揄していた輩がいましたが、そんな奴はデスノートに名前を書いておくので安心して下さい(かきかき・・・)(うっ!!心臓が・・・)(自己完結)。

 

いままでなら卒業式でバイバイしても、まあ会いたければすぐ会えるしね!、とか思ってたわけですよ。でも、今回は違ったんです。あ、会いたくても、社会人だから会えないかもしれないんだ・・・てかみんな東京か・・・と。これにはさすがにしみじみしてしまいました。もう学生じゃないんだなぁ・・・

こういうわけで、今回の卒業式は人生一しみじみした卒業式だったわけですが、やはり学生ではなくなるってのが、けっこうくるものありますよね。

つまりは大学の卒業式は「学生」からの卒業であるわけで、その意味で節目であり門出だね!ということです。

4年間なにやった?大学生活を振り返ろうのコーナー!!

さて、ぼくのブログは能天気をテーマにしているので、こんなじめじめしたカビの生えそうな終わり方はしません。

と、いうことで、とても需要が高い(希望的観測)、私的4年間を振り返ろうのこーな~

①剣道部

剣道部、その言葉を紡ぐだけで、舌にぬるい秋味(ビールの名前)の味が染みわたる。この部活に入るとたちまち地下鉄の座席を開けようとするし、九州から羽ばたいて名古屋に帰ろうとするし、介抱した人間に「なんでこんなとこいんの?」などという発言をしてしまう。おそろしい部活であった。

また、剣道部は男女関係がそこらの青学テニスサークルよりもどろどろしていた(「た」であってほしい)。もし青学や慶應のテニサーがこれ以上なら日本の少子化がこれほどまでに進んでいることはあり得ないのだから、転じてやはり剣道部はイカレテいることがよくわかった。やはり勝負事の中でも勝負事な「スポーツ」なのだから、このようなことになってもおかしくあるまい。

さて、とは言ったものの、やはり大学4年間をこれなくしては語れまい。なんだかんだ大学生は、高頻度で会う団体、苦労ができる団体、が楽しいような気がする。完全に経験だけど。

あと、レギュラーってすげぇってなります。ほんとに。大学生も部活やってるような人たちってやっぱ強いんすよ。何が強いって、技術だけじゃなくて、精神力が違いますね。七大とかで6試合でるとか人じゃないでしょ。と今だから言えます。僕は試合見てるくらいが一番楽しかったです。

モットー「剣道は嫌いでも剣道部は好きでいよう」は達成できました。

②模擬裁判

これは良い、などという言葉では片づけられまい。これがなければ私はロースクールなんていう素晴らしい()ところに進学しようとは思わなかったわけで・・・いやはや、人生何があるかわかりませんね。
結局、大学1年で「闇」と言われた某島先生(指導担当)の授業がすべてのきっかけだったわけで・・・こう考えると、なかなかに分岐点であるといえそうです。

詳しくは他の記事で書いたので割愛。

③勉強(学問)??

さてこれ以外で大学で「これをやった」というものがあるとするらならば、それは勉強(学問?)でしょう。

これあんまり外受けは良くない感じするんですけど(なぜだ?)、でも大学生のあるべき姿だったような気がします。

まず、教授がすごいってことがよくわかる。ほんとに。教授は「頭がいい」。

1年生とかって、教えるのが上手い下手=頭いい、みたいになりがちじゃないですか。高校の教員の評価軸を大学教授にあてはめようとしてたんですよね。でも、実際3,4年生くらいで接するといかに大学教授が頭いいかが分かるわけですよ。何言っても知ってるし、立論したらすぐに批判とか射程とか言ってくるし。。。。

つまりは学問ってこんなに広いんだぁ(小並感)となるわけです。

 

さて、他にも、あれ?日本すごくね?とも思うわけですね。22年間日本なんかで過ごしてると、これが世界の中心感あって、でもって欧米に劣ってるみたいな風潮が流れやすいと思うんですよね。でも、例えば国際法の文献についてみても、結構研究材料はそろってるし、そもそも自国語である程度学べる、これ自体すごくね?って思うわけです。日本国内で完結しているというか。

というわけで、日本好き(卍)となったわけです。

 

まあ、さて、あとはまあ春休みにyoutubeを見すぎたとか、amazon primeを見すぎたとか、dアニメストアを見すぎたとか、そんな有象無象があるわけですが、他にもバイトとか人間関係とか言い出したらきりがないんですが、ひとまずメインどころはこんな感じですね。大学4年間、結構充実していたのではないでしょうか。。

結局大学(学部)における「勉強/学問/研究」とは何だったのか

さてさて、4年間を振り返ったところで、では当然に考えなければならないのは、まず大学生活はどのように過ごすべきだったのか、であり、より範囲をしぼめるなら、大学での「勉強」とは何を目的(目標)にすべきだったのか、ということでしょう。

4年間学んだ、結局の答えは・・・

 

「問を見つける(知る)」

 

ということだと思います。

まず、大前提として、我々は社会の中で生きるので、当然に社会において有益なものを生み出さなければならない(はずであって)、すなわち適切な「答え」を導かなければならないでしょう。結局、結果が求められるからだと思いますが。。。

でも、この「答え」を導くためには、当然にどのような「問」があるのかを知らなければならず、これなくしての「答え」なるものは出発点が分からないまま進んでいるに過ぎない者なんだと思います。

しかも、もっと大変なことは、そもそもその「問」=問題点、が存在しているかどうか、もわからない場合が多いということで、そこにまず気づく(最終的には「答え」を導きだすとして、そのプロセスとして)ことが大事なんじゃないかなぁと思うわけです。

 

こういうと、①「答え」はいつ見つけるんや?とか②いつまで「問」いてるの?とかの反論が来るわけです。

①はまあ社会人とか、大学院生何でしょうかね?結局自分もよくわかっていませんが、とにかく学部生って既存の問題点を探る、議論を知る、整理をするってとこに注力しがちで、それは「答え」を作るためにはまず問題点そのものと、先人の知恵を知らなければね!ってことなんだろうなぁと思ったりするわけです(これ「答え」じゃないですね())

実際、僕たちが社会に出て真に何かを「考える」なんてことはあんまりなくて、それこそ先輩とかどこかの先人とかが同じようにやってきたことの繰り返しなんじゃないか、だとすれば自分で考える+先行事例を調べるってのが大事なんじゃないかなとか思ったりするわけです。

②は、うーん、それも「問」ということでしょうか(笑)。まあ真面目に答えると、さっきも述べたようにこの「問」を見つける作業は何らかの「答え」を導くためのプロセスなわけで、じゃあまあ「答え」が出る状況になったなら、それは「問」を終了してもいいんではないでしょうか。

例としてはそれこそLGBTの諸問題とか、そういう、少なくとも私では想像もつかなかった「問い」に触れて、そこでも議論を知ることがそういう問題への「解決」になるんじゃないかなぁってことです(ちなみに、こういう主張なのだから「学部生は答えを言うな」とかを言ってるわけじゃありません)。

なんだかまとまり悪いですが、なんとなくはこんなフィーリング。

でも、高校までのいわゆる「勉強」を超えた、学問人としての姿勢?は学べたような気がします。その意味で学士(法学)をもらっても問題ないでしょう()

 

では大学院生(ロー生含む)になった人間は何を目標にするべきなのかって問題も当然に出てくるわけですが、これについては①自分なりの「答え」を出す②既存の問題との差異ある問題点を見つける、なのかなぁとか思います。

つまりは①は、院生なんだからいろんな論点での(私なら法解釈)での自分なりの主張を言えるようにするのが最低限必要だし、②に関してはそれこそ論文を書く元になるみたいな新規性()が出せると良いなぁって感じです。

院生諸君、資格試験の勉強なんてやめて学問を楽しもうではないか!といった具合でしょうか(悲しいかな、あずめろは司法試験という試験を人生絶対の指標とする輩が集う試験を受ける羽目になっているから学問を真に楽しめないのだ・・・)

 

さて!

ということでなんとも何が言いたいのかよくわからない文章で締めて、学部は卒業、京大ロー編へと進めたいと思います。。

ブログ見てくださっている方本当にありがとうございます(けっこういるようで本当に嬉しい)。今後とも、次のあずめろブログをよろしくお願いいたします🙇‍♂️

 

ではでは

 

\\\\٩( 'ω' )و ////